「のらくろ」と小林秀雄 1

田河水泡の『のらくろ』は、雑誌「少年画報」昭和6年正月号の誌上で産声を上げたという。
漫画そのものを読んだことがない人でも、「のらくろ」のキャラクターは知っているだろう。わたしも、そうした一人だ。
この<A HREF=http://www.bk1.co.jp/cgi-bin/srch/srch_detail.cgi/3be9eb04314cb0105a09?aid=p-mittei16105&bibid=01872838&volno=0000>『のらくろ ひとりぼっち』</A>は、田河氏の妻である高見澤潤子氏による、夫婦ふたりの「ライフヒストリー」だと、裏表紙に記されている。

わたしにとって意外だったのは、著者の兄である、評論家の小林秀雄のエピソードだ。小林の妹が田河氏の妻ということは、この本の存在とともに、坪内祐三氏の書評(<A HREF=http://www.bk1.co.jp/cgi-bin/srch/srch_detail.cgi/3be9eb04314cb0105a09?aid=p-mittei16105&bibid=01450415&volno=0000>『シブい本』</A>(文藝春秋)所収)によって知った。
二人の結婚を祝福してくれた、当時、関西に身を潜めていた小林からの手紙、東京に戻ってから酒好きな小林と田河は、よく酒を酌み交わしながら、馬鹿話をしていたという。それだけでなく、お互いによく助け合ったという。
世の中が戦争へと一直線に向かっていくなか、「のらくろ」をはじめとするすべての漫画が執筆禁止とされて絶望に陥っていた田河氏に、小林は
「きっと『のらくろ』は復活するよ。『のらくろ』はほんものだからな」
と励ましたという。

もともとは、「MAVO」という革新的芸術グループに属していた田河氏は、その後食べるため、雑誌に創作落語を発表し、それが大いに受けたことから、「絵が描けるのならば、漫画を描いたら?」という編集者のすすめによって、漫画の連載を始めた。
のらくろ」のユーモアとかペーソスといったものは、田河氏がもって生まれた才能なのだろう。しかし、それだけでは、描き続けることはできない。