”坪内道”は長く高い山脈として聳える(1)

昨日とはうってかわって、朝から快晴。新緑が薫るようで、気分も爽快。

坪内祐三さんの<a href=http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/tg/sim-explorer/explore-items/-/410610010X/0/ref=pd_pym_sim_6/250-6280686-2859416><b>『新書百冊』</b></a>(新潮新書)読了。
第七章の冒頭で、坪内さんは
<b>私の肩書きを一番正確に述べれば「文化史家」ということになる(しかし、そういう肩書きは一般に流通していなくて、こなれが悪いから、普通はシンプルに「評論家」ということにしている)。</b>
と述べている。たしかに、坪内さんは、本のレビュウであろうと、身辺雑記(のように見える文章)であろうと、必ずそこに文化史という視点があることに気付かされた。坪内さんが平素、便宜的に使っている”評論家”という肩書きに、なんとなく違和感を感じていたのだが、この一文を読んで腑に落ちた。
新書百冊』には、そんな坪内さんの視点が、どのような形で生まれ育まれて来たのかという、”文化史”的考察が凝縮されている。

坪内さんという書き手を知ったのは、休刊となった雑誌「鳩よ!」だった。
「鳩よ!」の”100冊の本”は、文庫も単行本も新書も取り混ぜて、学生時代の約10年間に坪内さんが読んだ本の中から選ばれた、100人の著書の”この1冊”が選ばれている(ああ、ここでも100冊だ)。その中に、何冊かは読んだことがあったり、書店で見かけたことがあったりした本もあるが、ほとんどは坪内さんとの出会いによって、その存在を知った本だ。

それではなぜ、これまで自分の興味の対象から外れた本ばかりを読んでいる”坪内祐三”という書き手にハマったのかといえば、神保町での本の買い方もそうだけれど、なんといってもその本棚に惚れたといっていい。「鳩よ!」の表紙に使われていた篠山紀信さん撮影の本だらけの部屋と、それに続く「裸の部屋」というグラビアを見ただけで、「鳩よ!」を持ってレジの前に立っていた。