市川権十郎(かわさきや)?

旧聞日本橋 (岩波文庫)』を読んでいて、またまた気になる名前。市川権十郎やまざきやかわさきやとルビが振ってある。わたしの頭の中では、権十郎といえば河原崎、そして山崎屋(やまざきや)。???と思ってネットで調べてみたら、いたんですねぇ、こういう名前の役者さんが。「岡本綺堂・歌舞伎の再構築と規制 その一」というサイト*1の、明治七年の項に

○九月、嵐璃鶴は満期出獄して団十郎の門下となり、市川権十郎と改名して河原崎座に出勤す。

という記述があり、さらに明治三十七年の項に

○三月二十七日、市川権十郎死す、五十七歳。大阪俳優嵐璃鶴の後身にて、出獄の後、団十郎の門に入りて追々に昇進し、気品ある役々を得意としたるより殿様役者として知らる。

という記事もあった。
このサイトは、「綺堂事物 綺堂をさがせ」というタイトルで、岡本綺堂について調べていらっしゃる和井府清十郎さんという方が作っていらっしゃるものらしい。底本は岩波文庫版『明治の劇談 ランプの下にて』とのことですが、編者による加筆部分を除いて作成された年譜とのこと。
いやはや、『明治劇談 ランプの下(もと)にて (岩波文庫)』も、積んだままなので(ちょっと拾い読みはしたけれど)、これを機に読もう。
そういえば、明治に河原崎姓を名乗っていたのは、権之助か・・・。ちなみに、九代目團十郎の前名が、河原崎権之助で、先代である親父は強欲といわれた河原崎座の座元で、金主、だったはず。