『日本の芸談 邦楽・舞踊』

「延寿藝談」を読み終え、「佐多女芸談」を読んでいるのだけれど、昔の人の修行っていうのは、スゴい。佐多女というのは、京舞・井上流の方なのだけれど、珍しい舞を覚えるために、まず三味線を習いに行って(それも、杵屋六左衛門・勘五郎とか、常磐津文字兵衛=常磐津林中の三味線を弾いていた方)、自分が三味線をマスターして、地方の芸妓さんに教えて、っていうのだから・・・。井上流の舞に長唄常磐津や清元という江戸のものを取り入れたのは、佐多女のお師匠さんであった片山春子さんからだという。常磐津林中が出る名人会に望まれて、立方でこの春子さんも、佐多さんも出演しているというのだから。
「延寿芸談」。まず、かつて清元の家元っていうのは、血筋でも、一門の弟子でもないところから、浄瑠璃の上手な人を連れて来て養子にしていたっていうのに、びっくり。五世延寿太夫も、清元の家=岡村家の人ではなかったんだ・・・。まぁ、横浜の、彼の富貴楼の血縁者なので、まんざら、芸の方面に縁がなかったということもないのだろうけど。それにしても、30歳近くなって、プロの修行をしたというのだから(若い頃に、清元の稽古はしていたとはいえ)。それだけ、一般の人の身近に邦楽があった、ということでもあるのだろうけれど、家元だからなぁ・・・。それが代々続いていたっていうんだから。三味線弾きじゃあ、ちょっとあり得ないだろう。それもお葉という五代目の義母あったれば、という部分もあるのだろうなぁ。
新曲を作るときのあれこれ、役者(五代目菊五郎や九代目團十郎もしばしば登場!)とのことなど、いろいろと面白い話があって、やっぱり、明治の人っていうのは、スゴいなぁと改めて。