完全版 広重の富士 <ヴィジュアル版> (集英社新書)

完全版 広重の富士 <ヴィジュアル版> (集英社新書)

の続き。
「富士三十六景・東都墨田堤」には三人の女性が描かれているのだが、常磐津の定紋のついたきものを着ているので、おそらく3人とも常磐津にゆかりのある女性だろうという。なるほどねぇ〜。
飛鳥山の花見を描いた「富士三十六景・東都飛鳥山」の絵解きでの

江戸時代後期、ほとんどの女性は三味線を嗜んだ。その三味線音楽を習っている女性たちは春になると集団で花見をしたが、それを描き込んだのである。
p.p.91-93

という記述があって、「ほとんどの女性が三味線を嗜んだ」という記述に、ちょっと「え?」となった。
女性とくくってしまうのには、ちょっと抵抗を感じるなぁ。ある程度生活に余裕のある職人や商家の娘などは、踊りや三味線を嗜んだかもしれないけれど、裏長屋に住んでいるおかみさん、お店に住み込みで奉公しているような女中や下働きの女衆といったような人たちは、果たしてどうだったんだろう?
江戸は、女性が少ない町だったと言われているけれど、だからといって、みんながみんな音曲を嗜むような余裕があったとも思えないのだが…。
大流行した曲は、町のあちこちで耳にする機会もあっただろうから、鼻歌交じりに口ずさむようなことはあっただろうが、「嗜む」となれば、やはり町の師匠のところに稽古に行って、南極かはちゃんと歌えたり三味線を弾けたり、ということだと思うのだけど…。