古本屋おやじの矜持を見た 2

中山さんは、しばしば「映画研究」が学問として、きちんと整備されるよう、折りに触れて書かれている。それは、映画という芸術を愛しているが故の、苦言なのだろう。そして、このまま放っておけば、ただでさえ関東大震災第二次世界大戦を辛くも潜り抜けた貴重な資料が、どんどん散逸してしまうことを危惧してのことだと思われる。その甲斐あってか「客のなかの懲りない面々」の最後で、「私は今、この人たちのためにも、映画文献専門の看板は下ろすまいと思いはじめている」と述べるに至っておられるのは、救いだ。

ところで、わたしにとっての一番の収穫は、「一通の手紙から」。
福岡の市で運よく落札した、一通の手紙から檀一雄の「リツコ物」誕生秘話を調べ上げるまでの経緯が記されている。いろいろな文献を調べた結果、大筋は見当がついた。あともう一つそれを実証するに足る、決定的証拠さえあれば、と思って出かけた展覧会で、その証拠を発見する。こうして調べる大切さ、楽しさを教えてくれた手紙を売らなければならない悲しみ、自分の手で売ることのできぬくやしさ、そうした思いで、この一文は結ばれている。

専門書店としてのこだわりと誇りを持ちながら、他方で、初めての売上ゼロの日を、一家挙げてお祝いしてしまう「稲垣書店」は、どんなところなのか? 多分、わたしなんぞが伺っても、中山さんに嫌がられて、追っ払われるのが関の山と思いつつも、怖いもの見たさで、一度くらいお訪ねしてみたいものだ。そのためにも、病気療養中の中山さんの、ぜひ、一日も早いお店再開をお祈りする。