『六の宮の姫君』(一)事件が起きない推理小説

これまで、推理小説といえば、殺人や強盗、暴行といった凶悪犯罪が起こり、それを解決するもの、という先入観に凝り固まっていたということに、気づかせてくれたのが、北村薫さんの『六の宮の姫君』だ。

「私と円紫師匠」シリーズの第四弾でシリーズ中の「最高傑作」である。
もともと、このシリーズでは、いわゆる犯罪につながるような”事件”は起こらない。誰もが出会うような、ちょっと不思議な出来事に遭遇した「私」が、円紫師匠の力を借りながら、その謎を解いていくというのが、定番だ。
今回も、”事件”は起こらない。

前作『秋の花』で予告されていたように、大学4年生になった「私」は、卒論のテーマに芥川竜之介を選ぶ。そして、シリーズ第1作で「私」と円紫師匠を引き合わせてくれた加茂先生の紹介で、とある出版社でアルバイトすることになる。そこで、老大家が「私」に語った芥川とのエピソードが、今回の”謎”である。

ある意味、この”謎解き”は、坪内師匠の評論を読むのに通じるものがあるかもしれない。たとえば『慶応三年生まれ七人の旋毛曲がり』で、坪内師匠は、同い年の七人の足跡をたどる。彼ら七人の交友関係や業績を、膨大な資料を駆使して検証していくのだが、そこにはこれまで個々の作家論からは見えてこなかった、新たな事実が浮かび上がってくる。

そう考えると、学者や評論家の研究・著作といったものも、一種の”謎解き”なのではないだろうか?
そんなことを読み終わって考えていた。
そして、『六の宮の姫君』に続いて読み始めたばかりの、北村薫さんのエッセイ集『謎物語 あるいは物語の謎』(中公文庫)の中で、
「某大学著名な文学の先生が、くだけた座談会でおっしゃっていた。