きっと誰にでもある”流しのしたの骨”

江國香織さんの『流しのしたの骨』(新潮文庫)読了。

今時、こんな家族っているのだろうか? そんな主人公と家族の話。みんな、どこかが身の回りの現代人とはちょっとズレている感じなのだけれど、それがそれぞれの人物の魅力的として描かれている。年中行事や家族の誕生日には、みんなが揃って食卓を囲み、祝う。

クリスマスに主人公のしま子がボーイフレンドの深町直人からスキーに誘われて、一瞬心が動くのだけれど、家族でしゅうまいを作って食べることになっているから、という理由で断ってしまう。それが不自然じゃない。そして、電話でみんなで作ったしゅうまいのことを聞かされて、素直に「おししそう」と言えるボーイフレンドがまた、とってもいい。
また、しま子が深町直人に初めて食事をおごってもらった時に、
<b>「ごちそうさま」/私は言い、今夜食べたもののことはよく憶えておかなくては、と思った。男のひとにお金をだしてもらったはじめてのごはん。</b>
と考える。その日は、深町直人が待ち合わせに27分遅刻したから、初めておごってもらったのだ。
こんな女の子って、いいなと思う。

この一家は、そういう意味でみんな「いいな」と思える人たちだ。そして、周囲の人たちも。一番上の姉・そよの夫や、しま子の友達のクリーニング屋の娘も、みんな。
タイトルの「流しのしたの骨」にこめられたているものは、ちょっと切ない。これって実はだれにでもあるもので、でも気が付いているかどうかは、その人の生き方次第なのだな、と思う。