勝手な思い込み(1)

「名は体を表す」という言葉がある。本の場合、これが明確にあてはまる場合と、そうでない場合がある。
「名が体を表す」典型的なものが、実用書やビジネス書と呼ばれる本だろう。こういう本が並んでいる棚は、分類に迷う必要もないほど、内容を一目で表したタイトルがつけられている。
小説や詩歌といった本のタイトルも、ある意味では「名は体を表している」。中には読んでみて「なんでこんなタイトルをつけたんだ?」と思う本もなくはないが。作家の中には、タイトルを決めてからでないと本文が書けないという方もいらっしゃるそうだ。
それでは、「名が体を表していない」本というのは、どんなものだろうか? わたし自身の経験からいうと、評論集やエッセイ集は、良きにつけ悪しきにつけ、他のジャンルの本に比べて、タイトルにだまされることが多い。

福田和也さんの『乃木坂血風録』(新潮社)を買った。この本は、以前、福田さんの雑誌に掲載された対談記事でプロフィールにあがっていたのを見て、福田さんのことをよく知らないことや、一緒にあがっていた近著のタイトルに『地ひらくー石原莞爾と昭和の夢』があがっていたこともあり、勝手に「野木将軍の自決に関する本かなにかだろう」と見当をつけていた。最近、福田さんの本を何册か読んで、興味を持っている著者なので、ネット書店の検索結果などでこの本のタイトルをまた目にしていた。しかし、勝手な思い込みがあるのと、表紙のデザインから、福田さんの著作のなかでは、今のところ興味がない本の方に、わたしの中では仕分けられていた。

今日、はじめて書店の店頭でこの本を見かけたので、手に取って中を見てみると、雑誌に連載された時評であることがわかって、購入した。地下鉄の中で最初の方を読んでみると、これがかなり面白い。そして、先日購入したばかりの新潮文庫『人でなし稼業』の続編であることもわかった。