贅沢な短編集(1)

隣家の庭のキンモクセイが満開で、風にのっていい香りが殺風景なわたしの部屋にまで秋の気配を運んできてくれる。
宮部みゆきさんの『我らが隣人の犯罪』(文春文庫)読了。

短編小説は、作家の資質や技量を明らかにするように思う。
最近は、アメリカの影響を受けてかどうか、日本の作家の作品も長大なものが多い気がする。もちろん、長大な作品であっても、面白いものは面白いのだが、一部に、無駄に長いだけの小説というのもあるのではないだろうか?
書店であまりにも分厚い、さらに上下二巻などというのを見てしまうと、相当、信頼している作家の作品でも、ちょっと購入するのを躊躇してしまう。
もちろん、懐具合の問題もあるのだが、それ以上に「これを読みはじめて面白くなかったらとんだ時間の無駄だな」と思ってしまうからだ。面白くなければ途中でやめればいいのだが「もしかして、これから面白くなるのでは?」などという貧乏性と期待感がないまぜとなって、途中で放り出すということができにくいのだ。
その時は読むのを投げ出したとしても、後日もう一度トライしてしまったりするのだから、外れだった時のことを思うと、ついついためらってしまう。

反対に、信頼できる作家の短編集だと、安心して読みはじめることができる。それでも、何作品か収録されていると、その中にはずれもある場合もあるのだが、そういう時は、とりあえず飛ばして次の作品を読めばいいので、気が楽だ。

宮部さんは、わたしにとって長編であろうとも短編であろうとも、安心して読み始められる数少ない作家の一人だ。ただ、面白すぎて途中でやめられなくなった時のことを考えると、長編にトライするのはなるべく週末や連休などを選ぶことにはなるのだが。ゆえに、まだ『理由』に手がつけられないままなのだが。短編集なら、面白くて止まらなくなっても、徹夜するほどにはならないので、安心して読みはじめることができる。