「日記本」の誘惑

今日も一日、雨が降ったり止んだり。
昨日、疲れて投げ出した部屋の片づけを少しやる。
あとは土曜日に新しい棚が届いてからということで、今週も落ち着かない一週間になりそうだ。

部屋が荒れると、生活もだらしなくなる。生活がだらしなくなるから、部屋はますます荒れる。この悪循環を断ち切るには、やはり大量の積ん読本を処分して、スッキリするのが最善の策なのだろうか? 服にしても、ほとんど着ないのに、まだ捨てるには忍びないと、とってあるものが結構ある。食器や鍋にしても、使うものは限られているのはわかっているのだが、やはり処分できない。

先日、青山のリブロで買って来た、南陀楼綾繁さんと枕屋春水さんの『日記日和』(物数寄工房)をパラパラと読み出したら、最後まで一気に読んでしまった。様々な分野の人の日記本を、お二人のお眼鏡にかなったランキングに従って紹介している。これで勢いがついて、鴨下信一さんの『面白すぎる日記たち』(文春新書)を読みはじめる。日本人は、世界でも稀な「日記好き」な人種だとは、よく言われている。これは日記を書くことが好きだという面から言われることだが、これだけいろいろな”日記”が出版され、インターネットの普及とともに、日記サイトがたくさん現れるのは、書くのが好きなのと同時に、読むのが好きな人もたくさんいるということだろう。

鴨下さんは、主に戦前から戦後にかけての、様々な人の日記を、「日記読み」の嗅覚で、いろいろな角度から分析している。わたしが読んだことはなくても、その存在は知っていていつか読んでみようと思っているものが多数登場する。まだ、50ページほど読んだだけだが、たとえお値段が張ろうとも『古川ロッパ日記』はやはり手に入れて読んでみたいと、探索リストの上位に躍進した。他にも、先日、原宿のBOOK OFFで見かけたものの購入しなかった『入江相政日記』(朝日文庫)や、アンディ・ウォーホルの日記なども、ぜひ読んでみたいと思っている。
この2册を読んでいると「日記本」の誘惑に、負けてしまう。それほど、他人様の「日記」には魅力がある。

今、持っている本を処分できたとしても、やはり本は減らないのだということに、改めて気付いてしまった。