ひさびさの歌舞伎見物

朝から雨模様の寒い一日。
今日はひさびさの、歌舞伎見物。久しぶりの歌舞伎座は、華やいだ雰囲気で、三連休の初日ということもあり、ほぼ満席。開幕を告げる柝の音に久しぶりのワクワク感を覚えた。友人のKさんにお誘いいただいて、歌舞伎座夜の部の「椿説弓張月」の通しを見た。

猿之助さんの一座に玉三郎勘九郎福助さんが参加した形。三島由紀夫玉三郎さんを抜てきした記念すべき演目だと言う。段四郎さんが病気休演ということで、配役が変更になっていた。
全体を通して感じたのは、猿之助さんの一座と玉三郎勘九郎福助さんとの、芸の違い。勘九郎さんは、昔から上手い役者さんだと思っていたが、ますます自在になったと感じた。ちょっとしたところで、遊びがあるのだが、それが見物の心をしっかりと引き付けるのだ。
玉三郎さんは、なんといっても、中の巻山塞の場が圧巻。琴歌に込められた切々とした情感が素晴らしい。
福助さんは、上の巻で花道から登場するところからして、存在感が違う。
猿之助さんの相変わらずの演出とショーマンシップは見事なのだが、それが逆に勘九郎さんたちの自在さに負けてしまっているように感じられる。

猿之助さんが歌舞伎ファンのすそ野を広げたという意味では、その功績はたたえられてしかるべきだし、笑也さんという名門の出身では無いスターを育てたということは、歌舞伎の世界にとって画期的なことではある。
下の巻の阿公に扮した勘九郎さんが登場しただけで、見物はすっかり引き付けられてしまう。そういう芸の力の前には、残念ながら、一座の若手の方々が適わないのも、事実だろう。

三島由紀夫作「椿説弓張月」は、いわゆる「新作歌舞伎」とは違った、古典と言われても頷いてしまうだろう。それだけに、猿之助さんのサービス精神が、空回りしてしまう部分を感じてしまったのは、わたしがひねくれているからだろうか?
見終わって、三島の脚本を読んでみたくなった。