次は、未読王さまの日記だ

朝から快晴。暖かそうに見えて洗濯物を干すためベランダに出ると、気温はかなり低い。天気予報どおりだ。

先月は、なぜだか知らないが、やけに新刊、それも単行本を購入してしまった。何かに勢いを付けられたかのようだった。その割に読むスピードがまったく追い付かず、積ん読の山脈はますます堆くなっていく一方だ。
読みたいと思って買っている本だとはいえ、さすがに本棚からはみ出した本が、部屋のあちこちに積んである様は、なんだか後ろめたいと同時に、我がことながらあきれてしまう。

世の中、何事に於いても上には上があるわけで、先日本の雑誌社から『未読王購書日記』なる本を出された、未読王さまは、もうすごいらしい。
時々、未読王さまのHPは偵察に伺っているのだが、何しろ買いっぷりが半端ではないようだ。ところが、買った本はあまりお読みにならないらしく、読み始めてもすぐに他の本に興味が移ってしまい、一冊の本を読み終えるということは、HPで読んだ限りでは、まずない。

なぜ、わたしの紹介の歯切れが悪いかというと、未読王さまのご著書は、早々に入手したのだが、ご多分に漏れずただいま積ん読中だからなのだ。この本をすでに読まれたふじわら様が、<b>読まないだろうと思う本を買っても良いのだ、との勇気をもらいました</b>と感想を我が家の掲示板に書き込んで下さった。

たしかに自分の心理を覗き込んでみると、本を買ってしまった後で、「読みたいと思ったから買った」と言い聞かせているが、そのときの<b>たい</b>には”そうは思ったけれど、必ずしも読むわけではない”という気持ちが色濃く込められている。
これまで、そのことは後ろめたいというか、恥かしいというか、どちらかというとネガティブな思考だったわけだが、ふじわら様の感想を読ませていただくと、そんなことは気にしなくていいことなのだ、と考えることができるようになるのではないかという気がして来た。京極さんの『狂骨の夢』(講談社文庫)を読み終えたら、未読王さまの日記にとりかかることにしよう。