なぜか目に付く”京都本”

朝から曇天。いつ雨が降り出してもおかしくないと思っていたら、昼過ぎから降ったり止んだり。

帰りにいつもの本屋さんを巡回する。昨日、平台にあと3〜4冊は積んであった、坪内さんの<a href=http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4163596801/ref=pd_rhf_p_2/250-6280686-2859416>『一九七二 「はじまりのおわり」と「おわりのはじまり」』</a>(文藝春秋)が、見当たらない。これって、もしかして売り切れたということだろうか? 文庫の新刊は、新潮文庫と中公文庫。何点か気になるものはあったが、今日のところは百間先生の<a href=http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4101356335/qid=1051779957/sr=1-2/ref=sr_1_0_2/250-6280686-2859416>『第一阿房列車』</a>(新潮文庫)のみにする。

いつも最初に見る、入り口横の新刊棚に<a href=http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4833417820/qid%3D1051779987/250-6280686-2859416>『京都の値段』</a>(プレジデント社)というビジュアルムック系の本が挿さっていて、とりあえず見送ったのだが、やはり気になって、もう一度棚から抜いて、中をパラパラと見て行く。わたしでも知っている有名店の看板商品もあれば、「こんなお店があると知っていれば、この間行ったのに」とか、「これいいな、欲しいな」というものまで、様々。
中には、取り寄せができるものもあるようなので、そのうち、試してみたい。
そして、次回の京都行きのいい参考書になりそうだ。

それにしても、このところ”京都”という言葉が含まれる新刊書をずいぶん目にする。普通の単行本もあれば、新書もあるし、ビジュアルムック系、雑誌の増刊号、などなど。江戸・東京関係の本が多いのは、今年が江戸開府400年だからだと、見当が付くのだが、京都の方はわたしにはとんと、理由がわからない。