池波=時代劇の魅力の源にあるもの

5月に入って、まさに”五月晴れ”の日が続く。今日の日中は、暑いほど。

池波正太郎先生の未刊行エッセイ集が、講談社から刊行中で、現在、3巻までは店頭に並んでいる。
その第2巻『わたくしの旅』の巻末にある編集者のメモによると、このシリーズはほぼ執筆時期に従った編集になっているということ。
既刊の3冊はすべて手もとにあるにもかかわらず、なぜか2巻の<b>『わたくしの旅』</b>から読み始めた。
タイトルにある通り、池波先生の”旅”にまつわるエッセイが主にこの巻に収録されている。
その中でも印象的なのが、「道楽の旅」と題した昭和41年に「内外タイムス」に6日にわたって連載されたエッセイだ。
赤穂から室津へ陸路で往復するのでは味気ないと、池波先生は、地元の漁師さんに小舟を出してもらって、海から室津を目指す。この時に舟を出してくれた漁師さんがお酒好きで、一升瓶を持って乗り込んだ池波先生は、時折舟を止めては二人で冷や酒をすすりながら、明るい播磨灘を眺めたという。

<b>船から埠頭へ足をおろしたとき、ぼくは数百年前の旅人そのものの気分になっていた。
海から入江に舟がすすむにつれ、遠く見えていた古い土蔵の壁や、漁船や、寺の鐘楼やが、刻々と目の前に近づき、ついにそこへ足をおろす。これはタクシーの扉をあけ、室津の港へ第一歩を下すのにくらべて大変な違いがある。
こういう旅の仕方というのも、近い将来にはできなくなるだろう。いくら船をつけても、そこにある港町が、どこにでもあるモルタルやペンキ塗りの町並みであったら、タクシーで行っても同じことなのだ。</b>

旅の目的地が、古い町並みを残すところなら、どんなに忙しい時でも、こうしたコースを選ぶことを心掛けたという。池波先生の小説が、読んでいるとその時代に自分もいるような思いに読者を誘う秘密が、こういうところにあったということを、知った。
ただ、足を運んだだけでは知ることのできない、その場所の空気を、こうして身を以て感じ取ろうとする”手間”を楽しむ、そんな余裕が、池波先生の時代小説を読む楽しさの源となっていたのだ。