戸板先生と利倉さんに感謝(1)

歌舞伎を見始めると、必ずといっていいほど突き当たるのが、六代目尾上菊五郎という名優の存在。
わたしも、歌舞伎を見始めてすぐに、いろいろな本を読んで、六代目という名前をしばしば目にした。また、歌舞伎好きの方々とお話をしていると、よく「六代目の○○を見せてあげたかったねえ」と言われた。
六代目とはいったいどんな役者さんだったのだろう?と思っていたところに出会ったのが、戸板康二先生の<b>『六代目菊五郎』</b>(講談社文庫)だった。

歌舞伎を見始めた頃から、戸板先生の著書はもちろん、毎月の劇評も、若葉マークだったわたしにとって、常に灯台のようなものだった。戸板先生の真意をどのくらい理解したかということは措くとして、歌舞伎の見方を教えていただいたと、思っている。
たとえ、自分が好きな役者さんの演技に辛い評を、戸板先生が書かれたとしても、それは、歌舞伎のあるべき姿を後世に伝えたいという先生の思いからであり、常に戸板先生の筆には、一人一人の役者さんへの温かいまなざしが感じられた。
最近の歌舞伎熱再燃を機に改めて、名著『六代目菊五郎』を読んでみた。

戸板先生は、六代目の舞台の数々を見ることができたことを”眼福”という言葉で表現している。時に、六代目の役の解釈について、演技のムラについて、鋭く指摘されている部分もある。
しかし、それでも六代目という不世出の名優への、戸板先生のことばのひとつひとつが、とても暖かいものであるし、そこには尊敬や慈しみの眼差しが感じられる。
実際に生の舞台に接する機会を持てなかったわたしのような読者にも、六代目の舞台の素晴らしさが、ひしひしと伝わって来る。

あとがきで、戸板先生は、
<b>書き進めているうちに、僕がいかに菊五郎という人を好きだったかと、今更のように思わずにはいられなかった。そういう、好きな人のことを書くのは、楽しい。しかし、それだけに、息苦しくもあった。</b>
と述べている。
そういう戸板先生の気持が、読む者の側に自然に、しかし印象深く伝わって来るのは、やはり戸板先生のお人柄と、筆力、そして演劇評論家としての鋭い目が相俟った結果であろう。