集中力のなさ、物覚えの悪さ

天気のせいか、どうも仕事にも身が入らず、早々に職場を後にする。
お盆に休んでいた、いつもの珈琲店に寄って、久々のマスターの珈琲を楽しみつつ、高田文夫さんの『毎日が大衆芸能』(中公文庫)の続き。

このところ、地下鉄の中では、談春さんの「厩火事」と「白井権八」を聞いているので、本がぜんぜん読めないので、この珈琲店での小一時間は、貴重な読書タイムなのだ。
「一人暮らしなんだから、何も帰りにわざわざ寄り道してまで、本を読まなくても家でいくらでも読めるでしょう」と先日、職場のえらい人に言われた。「家に帰ると、それなりに食事のしたくをして、食べて、後片付けをして、などとやることもあり、なかなか落ち着いて本を読むことができないんですよね」と言うと「なるほどね、まあ、やることはそれなりにあるわなあ」と納得していただけた模様。

いつもより1時間ほど早く家にたどり着き、一連のやることを終えて、昨日・おとといの落語の復習のため、矢野誠一さんの本やら、安藤鶴夫さんの本などで、聞いた噺を目次で探して、拾い読み。すると、自分の集中力のなさ、物覚えの悪さなどに気づかされる。

まず、登場人物の名前を覚えていない、結構肝心なところのセリフもあやふや、などなど、あいまいなところがたくさん出てくる。
これは、歌舞伎を見た後や、本を読んだ後にもよくあることなのだけれど「脳みそが腐ってるんじゃないの?」と自分で自分に突っ込みを入れたくなる。
その時に感じた、自分の感情は残っているのに、具体的な言葉が残っていないのは、なぜなんだろう?
といって、見たり聞いたり読んだりしながら、メモを取るというのも、なんだか好きになれない。
「まあ、プロの評論家や物書きになろうというわけでもないから、いいか」と、半ばあきらめている今日この頃なのだった。