噺家の”おかみさん”もまた才能がいる稼業(2)

ある噺家さんがマクラで「家の師匠は、ほとんど内弟子を置かなかったし、自分の身の回りのことはさせても、ご家族のことはさせなかったけれど、自分が弟子を取ってみて、家の中にアカの他人がズカズカと入ってくるというのは、家族にとっては厄介なものだったんだろう、ということがやっとわかった」と言っていたが、『噺家カミサン繁盛記』を読んでみると、まさにその通り! 合鍵を持っている弟子が、いつ何時やってくるかも知れず、家族以外の若者が常に2人も3人も家の中に居る、というのは大邸宅ならいざ知らず、日本の平均的住宅事情を考えれば、気詰まりなもののようだ。

和世さんは、持ち前の明るさと気っ風の良さで、デキがいいとは決して言えない弟子たちのアラを探しては、なんとか追い出そうと、機会を虎視眈々と伺っていることを、はっきりと書いている。時に、ものすごい罵詈雑言はもとより、手が出る、足で蹴る、といったことまで書かれている。しかし、和世さんの文章を読んでいると、そうした一見、乱暴に思える行為の一つ一つが、実は、弟子たちへの愛情から出ているものだということが、伝わってくる。
噺家としてやって行けるという見込みが無い子には、さっさとあきらめさせるというのも、やはり愛情のうちだろう。見込みがある子なら、なおさら厳しくしつけて、立派な真打ちになれるように育てるのが、師匠とおかみさんの役目なのだ、ということが伝わってくるのだ。

それにしても、噺家の”おかみさん”稼業は、噺家になるのと同じくらい、並大抵では勤まらない、才能がいる稼業なのではないだろうか?