歌舞伎と奇術の深い関係 2

そしてもう一点。「日本の手妻(=奇術)の構成に欠かせない」と著者が述べている「見立て」だ。外国の奇術に「見立て」が持ち込まれることはないという。そもそも、奇術の本筋には関係のない遊びの趣向なのだという。そして、「見立て」は歌舞伎にも欠かせない。
例えば、おめでたい演目とされる「曽我対面」の幕切れ、工藤祐経を鶴に、五郎十郎と朝比奈を富士山に、見立てた型で、めでたく幕が引かれる。また、立ち回りでも「夏祭」のクライマックス、陰惨な殺し場に手傷を負った者が蛙の形で四つん這いになる。
和妻でも、こうした「見立て」が取り入れられた演出が「名作」には欠かせないという。また、歌舞伎役者が日本舞踊や音曲の素養を欠かすことができないように、和妻を演じる者も、指先だけでなく、日本舞踊を基礎とした美しい身のこなしを要求されたという。そして、伴奏は当然邦楽であったから、それに関する素養も求められたことは、想像に難くない。

このように、歌舞伎と奇術、とくに和妻とは、深い関係にあるということを知ってみると、市川猿之助を始めとする、近年さかんな大スペクタクルを駆使した歌舞伎と、デヴィット・カッパーフィールドのイリュージョンにも、大いに共通点があるのではないか、と思えてくる。