歌舞伎と奇術の深い関係 1

学生の頃は、歌舞伎が好きで、毎月東京での公演は欠かさず見ていた。
時代ものの様式美、世話ものの人情の世界、見事な舞台機構を駆使したスペクタクル、豪華な衣装、長唄や清元・常磐津といった音楽、歌舞伎という総合芸術のあらゆる面に魅かれていた。

昨年末から、少しずつ読んでいたのが、泡坂妻夫<A HREF=http://www.bk1.co.jp/cgi-bin/srch/srch_detail.cgi/3be9eb04314cb0105a09?aid=p-mittei16105&bibid=02017495&volno=0000>『大江戸奇術考』</A>。そもそもは、仕事の行きがかりで買った本だ。しかし、読んでみると、まさに”目から鱗”が落ちた。
そもそも、「奇術」というのは、明治維新とともに外国から”輸入”された芸能だとわたしは思っていた。しかし、この本を読んでいると、卑弥乎や修験道の法術、最近大ブームとなっている安倍清明陰陽道などというものも、見方を変えれば「奇術」の前史に連なるものだと考えられるし、散楽雑儀や田楽法師や放下僧なども「奇術」を使っていたと言えるのだという。

さらに。第九章「歌舞伎のからくり」を読み始めると、かつて歌舞伎座で見た「東海道四谷怪談」も「天竺徳兵衛韓噺」も「本朝廿四孝」も、みんな「からくり」が駆使された舞台だということに思い至る。もっと身近なところでいえば、”せり”や”スッポン””廻り舞台”といった、現代劇でもお馴染みの舞台機構も、歌舞伎には欠かせない”早替わり”も「からくり」の一種だ。こうした歌舞伎の演出こそが、当時の「奇術」であるということを教えられた。
この章の最後で、「江戸の奇術を考えるとき、やはり歌舞伎を見逃しにすることは考えられないのである。
日本では、明治に松旭斎天一が現れるまで、大掛かりなマジックショウが育たなかったのは、すでに歌舞伎が充分にマジックショウの役割をはたしていたからにほかならない。」と、著者は述べている。

まさに、今の劇場と比べ物にならないほど、薄暗い劇場の中で、つぎつぎに繰り出される「からくり」の数々を見慣れていた江戸の人々にとっては、それ自体が充分に「奇術」であったに違いない。