古本病患者一歩手前?!

最近、朝30分〜1時間程度、本を読む習慣が続いている。特に理由はないのだが、起き抜けでシャワーを浴びてから、どうも本を読みたくなるのだ。
そんなわけで、今朝は、岡崎武志『古本でお散歩』(ちくま文庫)読了。

「ヤバい本を、読んでしまった!!」というのが、正直な感想。
欲しい本が、次々に登場しては、「面白いよ!」と呼びかけてくるのだから。
とどめは、「彷書月刊」の七痴庵こと田村さんの解説。
「この本を読んでしまったあなたは、立派な古本病患者です」みたいなコメントで締めくくられている。(今、手元に本がないので、正確な引用ではないが)

本は、もちろん「読む」ために買うのだが、時折、それが「集める」ためになってしまうことがある。
かなり気に入った作家の本とか、興味をもったジャンルの本などは、とりあえず集めてしまって、それで安心してしまうようなところがあるということを、自覚している。で、『古本でお散歩』を読んでいると、どうも、わたしには十分、”古本病患者”になる素質があるようなのだ。

特に、最近目覚めた、吉田健一とか小沼丹山口瞳などは、町の本屋さんの棚では、ほとんど絶望的に遭遇できないので、勢い、大書店か、古書店新古書店で探すことになる。眼にとまれば、「今度はいつ巡り会えるかわからない」という脅迫観念にも似た気持ちに煽られて、買ってしまう。
もちろん、読むために買っているのだが、買う量が多くて読むほうが追いつかない。岡崎さんによると”古本病”にかかっていると自覚すると「買った本を全部読めるわけないでしょう」という開き直りにも似た気持ちになるらしい。

たしかに、買ったはいいが、その後一度も開いていない本も、我が家の本棚に結構あるな、と気づくと「もしや・・・」という気分になってくる。
「本には、出会ったときに買わないと、二度と巡り会えない」という法則があると、bk1店長の安藤さんも言っているが、今の出版状況だと、これがまんざら大げさでもないというところに、問題があるんだ。
ページを開かれること無く本棚行きになっている本たちに対して、そんな言い訳をしている。

さあて、わたしは真性”古本病”にかかってしまうのだろうか?
自分でもわからないところが、この病のこわいところだ。