団十郎は謎だらけ(2)

「油地獄団十郎殺し」では、当時の江戸と大阪商人の間で灯用の油を巡る争いを本筋として展開しながら、八代目の死の謎をからめて、その答えを提示している。
江戸と大阪の商人の間に根深く横たわる覇権争いについては、ほとんど知らなかったので、その件だけでも充分面白く読める。その上、わずか32才でありながら、人気と実力を兼ね備えた”お江戸の顔”八代目が、大阪で不審な死を遂げた謎とが見事にからまって、非常に興味深い。

「初代団十郎暗殺事件」と「油地獄団十郎殺し」に挟まれた形でこの短編集に収録されている「死絵(しにえ)六枚揃」という作品も興味深い。瓦版とともに、当時の浮世絵は今でいうところの”写真週刊誌”的な役割を果たしていたことは知っていたが、浮世絵の絵師の中に「死絵」を専門に描く絵師がいたことを、この作品によって教えられたからである。

「死絵」の第一人者として認められていた浮世絵師・国房が主人公だ。普通の浮世絵では認められなかった国房が、たまたま版元に頼まれて描いた、名女形五代目岩井半四郎の「死絵」で認められ、「死絵」の第一人者となったのだ。だが、周囲の冷淡な仕打ちに耐え切れず、国房は出直そうと「死絵」を捨てる。しかし・・・。
ここにも、八代目の死がからむのだが、ネタバレになるので、これ以上は控える。
ただし、この作品では八代目の死因については、詳しくは触れられていない。

ところで、初代と八代目以外にも、団十郎にまつわる謎はある。
それは、歌舞伎の荒事には欠かせない”隈取り”を完成させたといわれる、二代目団十郎についてだ。
二代目には、江戸はもちろん、大阪や京都にもその足跡をたどることのできない、空白の時期があるのだ。手元に資料がないので、断言はできないが、その期間は一年半くらいに及んでいたと思う。旅芝居に出ていたという記録もない。この間、二代目はいったいどこで何をしていたのだろうか?

どなたか、この謎に対する大胆かつ妥当な仮説を立てて発表してくださらないだろうか?