斎藤美奈子さん江 多謝「文章読本さん江」完成

そして、文章読本の未来について
「本という形式が存続する限り、文章読本というジャンルも消えてなくなることはないだろう。」
と予言している。

ところで、この本で紹介されている「文章読本」と、それにまつわるエピソードの中でも特に、興味を惹かれたものを、いくつか挙げておく。

○明治時代の小学四年生むきの書簡文範の文例
候文なのだけれど、内容はよく読んでみると「酔っ払ってあばれたことを謝罪する」というもの。
手紙の需要が飛躍的に高まった明治時代、手紙とは定型にのっとったむずかしいものという固定観念が、一般庶民のあいだにはあったという。そこで「文範」というお手本を子供の頃から学んで、必要なときに引っ張りだして、真似をしたのだという。
それにしても、酔った上の失礼を詫びる例文を、小学生に真似させるとは。

○漢作文が、投稿マニアを生んだ
青少年の作文を募集する専門誌が続々と創刊され、投稿少年たちの間に空前の作文ブームを巻き起こしたという。そのなかには、尾崎紅葉、山田美妙、田山花袋内田魯庵といった、最近、わたしにもお馴染みの人々がいた、という。
しかし、彼らの投稿内容が、「瓢箪を携えて、花鳥風月を目でに行っては、酔っ払い、歌い、あるいは舞った」という文範の定型句を模倣して、適当にアレンジしてでっちあげられた文章だったとは。

○代作疑惑により、退場=「文は人なり」の嘘発覚
菊池寛川端康成の「文章読本」には、後に代作疑惑がもちあがって、どちらも抹殺されたのだという。
「代作疑惑が出てこなくても、盗用問題にはなったかも、というほど」この二著は谷崎潤一郎からのパクりが多いのだという。それでも売れたし、版を重ねたのだそうだ。
そのことで、「文は人なり」というのは、間違いであったことが露になっていると、斎藤さんは指摘する。 

世紀をまたいで8年近くをかけて完成したという、<A HREF=http://www.bk1.co.jp/cgi-bin/srch/srch_detail.cgi/3be9eb04314cb0105a09?aid=p-mittei16105&bibid=02127766&volno=0000>『文章読本さん江』</A>。
よくぞ四桁の並み居る「文章読本」を集め、ここまで見事にバッサリと斬ってくださいました、と思う。
 斎藤美奈子さん江 多謝「文章読本さん江」完成
と申し上げたい。
なにせ、斎藤さんのお陰で、四桁もあるという文章読本を読まずして、その中味を知ることができたのだから。