しみじみと、でもクスクスと

小沼丹<A HREF=http://www.bk1.co.jp/cgi-bin/srch/srch_detail.cgi/3be9eb04314cb0105a09?aid=p-mittei16105&bibid=02135481&volno=0000>『小さな手袋/珈琲挽き』</A>(みすず書房)を「もったいない、もったいない」と思いながら、読了。

小沼さんの書いたものを読んだのは、初めて。
というか、坪内師匠の本で教えていただくまで、小沼丹という作家の名前も知らなかった(お恥ずかしい話ですが)。

心にひたひたと沁みてくる。
それでいて「酔っ払った時のことは、何も覚えていない」から、自分がやったことを翌朝すっかり忘れていて、財布を探しまわったり、工事現場の回転灯(あの、くるくると明かりが回るやつだと思う)を自宅の玄関に持ってきてしまったり、帽子を近くの空き地の棒にかけたまま、忘れていたり・・・。
なんだか、いたずら坊主のような、やんちゃなところが、くすくす笑いを誘う。

庭の植物や、鳥、猫、蟇蛙、といった動物たちとのやり取り(どうも、本当に話しかけているらしい)が、微笑ましい。

小沼さんが師と仰ぐ、井伏鱒二さんや、友人である庄野潤三さんとのエピソード、木山捷平さんのこと、などなども、そうした人々が、小沼さんにとっては大切な宝物だったのだろうとしのばれる。

この本は、『小さな手袋』と『珈琲挽き』の、庄野潤三さんによるアンソロジー。後書きで、庄野さんが、この本に収録する作品を選ぶのは、すでに小沼さん自身が選んで編んだ本だけに「難しかった」と書いておられる。
そう言われると他の作品も読んでみたくなって、手元にあった講談社文芸文庫版『小さな手袋』も読み始めた。

庄野さんが、収録する作品を選ぶのに苦労された、というのがわかる。