バブル時代の「東京」(1)

山口瞳『新東京百景』(新潮文庫)は、山口瞳さんの作家としての視点と、画家としての視点の2つが交錯している。

そもそもこの作品を書こうとしたのは、自宅のある国立から都心に向かって車で移動しているときに、いつも目にする新宿西口の超高層ビル群だったという。
夕方の光に照らしだされたビルの群れが、とても美しいと感じたからだと。
それまで、牧歌的な風景を描いてきた山口さんにとって、その光景は”異様”なものであったが、嫌なものではなかった。感動さえした。
感動したんだから、いつかは描いてみたいと思っていた。

やがて、こういう風景に感動したのだから、もっと他にも新しい東京とも言うべき眺めがあるのではないかと、思った。変わってしまったと言われる東京を自分の目で見てみたいということで、連載はスタートした。
それは、1986年〜87年にかけてのことだった。

時は、バブル景気の真盛り。東京という町が、戦後最大の変貌を見せていた時期だ。
東京のあちこちに”新名所”と呼ばれる場所が、つぎつぎに誕生する一方で、古き良き東京が、どんどん失われている。その真只中を、山口さんと担当編集者の臥煙さんは、つぎつぎに訪れ、全部で19ケ所を絵に切り取っていく。
しかし、”希代の雨男”臥煙さんのおかげで、せっかく見つけた絵を描くのに最適の場所も、雨にたたられ役を為さないこと、たびたびである。

そこで、雨でも対象に決めた景色が描ける場所を、スタンバイするようになる。そのために選んだいくつかのホテルの中で、山口さんは「帝国ホテル」について、かなり厳しい評価をはっきりと書いている。なぜなら、山口さんにとって「ホテルというのは、マナーやエチケットを学びに行く場所でもある」からだ。
「外国人とどう接するか、西洋料理をどう食するか、ダイニング・ルームではどんな服装がふさわしいか、そんなことを教えてくれるのが、ホテルの支配人や料理長、ボーイである」
『行きつけの店』でとりあげた店への愛情あふれる文章を目にしていただけに、これには驚いた。しかし山口さんが宿泊した当時の、帝国ホテルのレベルの低下は、確かに目を覆うばかりだ。相手がたとえ老舗中の老舗であろうと”ダメなものはダメ”とはっきりと物言う姿勢は、さすがだ。