バブル時代の「東京」(2)

この連載の2回目で、山口さんは浅草ロック座で倒れ、救急車で病院に担ぎ込まれている(このとき医師は、脳内出血、脳梗塞を疑ったらしいが、後の検査で古い脳血栓の後が発見されたという)。
苦しいはずなのだが、担架に乗せられて搬送される途中で、山口さんは辞世を考え、その日のお目当てであったストリップダンサーを片目で確認さえした(ことになっている)。そして、担ぎ込まれた先の病院で診療にあたった医師と看護婦を「愛染かつら」に見立て、続いて点滴を受けた病室を泉鏡花の『外科室』のようだと書いている。
まさに、転んでも只では起きないと言うべきか。
この時に泊まった「浅草ビューホテル」はお気に入りのホテルになったようで、その後もここを基点にして、深川や荒川土堤にも出かけている。

そもそもは、「新しい東京」を見てみたいと思って始めた連載だったが、あまりに猛スピードで変わっていく東京は、早さだけでなく中味ももはや”東京”とは呼べない町となってしまっていたようだ。
そんな中で、若者に人気の町ということで、代官山に出かけて行った。だが、そこで山口さんが見つけたのは、取り壊し前の同潤会アパートであり、小川軒であった。
「新東京を尋ねているうちに僕等は旧東京を発見してしまったのだ」。

さて、山口さんが描いた「新東京」のうち、そのままの景観を今も留めている場所が、どのくらいあるのだろうか?
私が知る限りでも、19景のうち半分近くは、その後また別の景色になってしまっているはずだ。
そういう意味では、バブル景気の最盛期の東京を、絵と文章で遺そうという計画を実行に移して、こうして本として遺した山口さんの試みは、ある一時代の「東京」(山口さんいわく「もはや東京ではない」のだが)の、貴重な記録となっている。