遅れて来た「青春の読書」の効用(2)

これまで、自分が読んできた本を振り返ると、こうしたいわゆる名作や古典を飛ばして、ノンフィクションや冒険小説、ハードボイルドなどの、エンターテインメント作品が、圧倒的に多かったことに、改めて気づく。
坪内師匠の著作と出会ってから、いわば「遅れてきた青春の読書」真最中というところだ。
とはいえ、なかなかこうした古典や名作にまで手が延びず、北村薫さんの小説やアンソロジーなどでさらに後押しをしてもらっているというところであろうか。

さて、<A HREF=http://www.bk1.co.jp/cgi-bin/srch/srch_detail.cgi/3be9eb04314cb0105a09?aid=p-mittei16105&bibid=01920974&volno=0000>『明治文学遊学案内』</A>には、現代から見直した名作・古典について書かれた部分と、その時代の人、あるいは身近に接することができた人々による、研究や対談などが収められた部分がある。
今回、とりわけおもしろかったのが、「明治時代の文豪とその生活を語る」という座談会だった。

読んでいて、ハタと気づくと原稿料がいくらだったか、自分はいくらもらったか、文豪はいくらぐらいもらっていたか、下宿代がいくらだったか、そんな話になっている。その合間に、紅葉はこんな人だった、一葉はその頃世間で大人気だった、そんな話題が出てくる。そしてまた、原稿料の話。これがまた、妙に笑える感じなのだ。座談会の出席者たちが、「いかに自分の原稿料が安かったか」を、文豪の話にかこつけて自慢し合っている感じなのだ。
落語に出てくる長屋のみんなの”貧乏自慢”のようなものとでも言えばいいだろうか。
「そうか、文豪と呼ばれる人たちも、ごく一部の人を除いて、みんな生活は苦しかったんだな」なんて、妙に感動してしまう。