いつか前へ進むための一冊(1)

往来堂の店長で、bk1から糸井重里事務所へ移籍した安藤哲也さんが、書店の現場に帰ろうとしているということを、彼のメルマガ「AND SENCE」で告知されている。<A HREF=http://www.bunmyaku.com>HP</A>で日記も公開されている。

坪内祐三『後ろ向きで前へ進む』(晶文社)読了。

1979年、著者21歳のこの年が、思想、教養、ライフスタイルの転換期のようだったと、いう。
<b>1979年とは何だったのか、今、何であるのかを探る評論集</b>
と、表紙カバーの見返しにある。

植草甚一的なるものをめぐって」「生き方としての保守と主義としての保守ー福田恆存江藤淳」「一九七九年のバニシング・ポイント」「一九八二年の『福田恆存論』」「私小説とは何か」「さよならジャイアント馬場」「靖国神社と『靖国問題』」「東京堂書店のこと」の8編が収録されている。最初の「植草甚一的なるものをめぐって」は、講演を書き起こしたもの、「一九八に年の『福田恆存論』」は、早稲田大学文学部の卒業論文として書かれたもの。それ以外は、雑誌等に発表されたものだ。

植草甚一的なるものをめぐって」ではまず、植草甚一さんと安藤鶴夫さんが同い年であるという、わたしにとっては意外な事実を教えられた。そして、直木賞を受賞して作家としてひと仕事終えた後、61歳で亡くなっている安藤鶴夫さんに対して、植草甚一さんはその頃やっと、若者たちに<発見>された「教祖」であったということ。そして、植草さんが亡くなった一九七九年は、村上春樹が『風の歌を聴け』で登場し、沢木耕太郎が『テロルの決算』で大宅賞を受賞し、椎名誠が『さらば国分寺書店のオババ』でデビューした年でもあった。さらに、蓮實重彦の『表層批評宣言』が出版された年でもある、ということ。
それ以前には評価されなかった「植草甚一的なるもの」が、植草甚一という肉体が滅びた一九七九年を境にして、何かが始まり何かが終わったということを、坪内さんは感じたと述べている。