『鎌倉のおばさん』

村松友視さんの『鎌倉のおばさん』(新潮文庫)読了。

昨年末に2/3まで読んでいたのだが、なぜかそのままになっていた。
村松さんが、『残菊物語』などの原作者である村松梢風のお孫さんであることは、知っていたが、戸籍の上では梢風の養子であったこと、父上を早くに亡くし母上も他家へ嫁がれたというような、生い立ちについてはまったく存じ上げなかった。

村松さんといえば、元・雑誌編集者でダンディな方という印象しかなかったので、『鎌倉のおばさん』の「わたし」というのが、どこまで村松さんご本人を描いているのかは、ちょっとわからない。

物語は、「鎌倉のおばさん」の死から始まる。
一時期は、我が家同然に出入りしていた鎌倉の家に、「わたし」が出入りしていた頃と、おばさんの死後、訪れた家の、あまりの落差に「わたし」も同行した叔父さん夫婦も、びっくりしてしまう。
壁は破れ、床は新聞紙が幾重にも敷き詰められ、さらにところどころ抜けてしまい、そのうえ、キノコが生えてしまっているという、荒れ放題の様子は、鬼気迫るものがある。
「鎌倉のおばさん」は生前、村松さんをはじめとする梢風の親族や関係者の前では、常に気丈にしかもお金に困ったことはないという虚勢を張り続けていた。
そんな「おばさん」の姿からは想像もできない、鎌倉の家の荒廃。
そこから、梢風の盟友・小島政二郎氏の作品や、村松さんたちの記憶をたどりながら、梢風と「おばさん」の足跡をたどって行く。
そこには、村松さんの育ての親である清水のおばあちゃん=梢風の正妻・そうの、鎌倉とは対照的に侘びしい暮らしも描かれる。
そして、東京の大学に進学した村松さんは、清水のそうから拒絶され、さらにある事件がきっかけとなって、梢風からも拒絶される。
それは村松さんにとって、”帰るべき家”の喪失であったという。

久世光彦さんが解説の中で「おばさん」は「矜持の女(ひと)」であったと読み解いておられる。「おばさん」はまさに、今やなかなかお目にかかることのできない「矜持」を支えとして生きた女性なのだ。だからこそ、物語の最後で村松さんが「おばさん」の死について述べておられることが、頷けるのだ。