女性にこそ”荒ぶる魂”がある

Kー1が始まった頃、格闘技大好きの友人に勧められて、何度かテレビで見たことはあった。確かに、異種格闘技の迫力ある対戦は、あまり格闘技に興味のなかったわたしのような者にも、面白かった。
ボクシングは、子供の頃、父が世界タイトルマッチをテレビで見ているのに、つきあって見ていた。当時は、テレビは茶の間の王様で、父親が家にいる時はチャンネル権はまず父にあったので、半分いやいやながらでも、他の番組が見られないからだった。
相撲は、一時期、結構好きで、場所中は学校から幕内上位の取り組みには間に合うように、急いで帰るほどだった。
プロレスは、ほとんど見たことがない。なぜかというと、まず、派手な流血が気持ち悪いと感じたからだ。そして、ボクシングには子供心にも”真剣勝負”が伝わってきたが、プロレスにはショーアップされた匂いが感じられたからだ。

桐野夏生さんの『ファイアボール・ブルース』(文春文庫)を読んで、あとがきで桐野さんが
<b>女にも荒ぶる魂がある。</b>
と、この小説を書く動機について述べておられるのを読んで、大きく頷くことができた。
主人公の火渡抄子という女子プロレスラーと彼女の付き人で、この小説のもう一人の主人公である近田は、ある意味、現代のひ弱な男たちが失ってしまった”荒ぶる魂”を、身内でメラメラと燃やし続けている。
そんな一見、男のような女でありながら、火渡も近田も、女としての自覚を失っていない。たとえ、言葉遣いが荒っぽかろうと、肉体を痛めつけるプロレスラーとして生きていようと、だ。