何はともあれ「抜き書き」から(1)

鹿島茂さんの『成功する読書日記』(文藝春秋)読了。
週刊文春」に連載された「読書日記」に、この本のために鹿島さんが書き下ろした「成功する読書日記」入門篇・実践篇「理想の書斎の作り方」が加えられている。

ひとつ、「これはやはりやってみよう」と思ったのが、「抜き書き」だ。福田和也さんの『ひと月、百冊読み、三百枚書く私の方法』(PHP研究所)でも、抜き書きが薦められていた。自分が、その本のどこを「いい」あるいは「大事だ」と感じたか、ということを憶えておくために、「抜き書き」という行動は役に立つのだという。さらに、鹿島さんが実際にパリで出会った、フランス人の優秀なエリート青年は、部屋に一冊の本も置いていなかったというエピソードを紹介されている。では、彼はどこからその広範な知識を得ているのか? それは、図書館の本で勉強していて、重要なところは、全て自分のノートに書き抜きをしているので、そのノートさえあれば、事は足りるとその青年から教わったのだそうだ。
鹿島さんは、さらに批評を書くよりも、この抜き書きをしておくことが、読書日記を続け、成功させるために重要なことだと、述べている。
たしかに、これまで気になる箇所に折り目を付けたり、線を引いたり、付箋をつけたりということは、よくしてきたが、それを書き抜いておくという作業を怠って来た。そのせいか、タイトルだけで、その本を読んだかどうか、思い出せないという、情けない事態にしばしば見舞われる。また、気になった場所に何らかの印を付けるだけでは、やたらに印だけが増えてしまって、何がその本の大切なところか、どんなところがいいと思ったのか、という印象が薄れてしまうことも、少なくない、と思い当たる。

続けて鹿島さんは、文芸評論家を目指しているわけではないのなら、あとは、その「抜き書き」をもとに、今度は自分なりの言葉で、その本の内容を要約する「コント・ランデュ」をしなさい、「批評」などという大それたことは、その後で初めてすればいいのです、と苦言を呈している。なぜならば、正確に内容を把握できていないのに「批評」しても、それは傾いた土台の上に家を建てるようなものだからだ、と。