横山病の次は京極病?

今日も快晴、洗濯日和。
そろそろ、大掃除をしなければと思いつつも、ついつい雑誌や本を拾い読みしてしまう。ついでに、昼寝も・・・。

京極夏彦さんの『姑獲鳥の夏』(講談社文庫)は、なんで昔読んだときには挫折したんだろう?という感じで、面白く読んでいる。
理由のひとつは、”ノヴェルス版”という本の形態とわたしの相性があるのかもしれない。
新書というのは、内容が興味深かったりするとけっこう苦にせず読めるのだが、本屋の棚でなかなか手が伸びない。ましてや、ノヴェルスだと、ほとんど積極的に購入することはない。
別に、ノヴェルス版に恨みはないのだが、自然にそうなっているのだ。
過去を振り返ってみても、積極的に買うのは、大沢在昌さんの「新宿鮫」シリーズくらいなものだ。

京極さんの京極堂シリーズ(っていっていいのか?)は、どれも超長編なのだが、ページの見開きの真中あたりが非常に読み難い。これは、文庫版だけでなくノヴェルス版でも同じだろう。まして、ノヴェルス版だと2段組か1段でも縦に長いので、もっと読み難そう。挫折の原因のひとつは、この辺りにあるのかもしれない。
あとは、当時の気分の問題というのもあるかもしれない。
先日の「週刊ブックレビュー」を見たり、『大極宮』を読んだことで、京極さんという作者のイメージがかなり変ったことも大きいかもしれない。
もっと、くらーい感じの人なのかと勝手に思い描いていたが、実はけっこうお茶目さんかも?という風に感じたのだ。
ちなみに、昨日『大極宮』を読み終えて、青山のリブロに行って、『妖怪馬鹿』(新潮OH!文庫)をついつい買ってしまったほど、興味を持ってしまった。

昨日読んだ『大極宮』で宮部さんが「なんで文庫版にするときに上下に分けないの?」と京極さんに突っ込んでいたが、ご本人曰く「途中で切れないから」とのこと。それにしても、この後、もっと分厚い”ギネス”ものが待っているわけで、いったいどうなっちゃうのだろう?