現代の散歩の達人たちが語る、元祖・散歩の達人(二)

また、映画評論を手掛けていらっしゃる川本さんらしい新発見も発表?された。小津安二郎監督の「東京物語」で堀切駅とその近くの荒川土手がロケ地として選ばれたのは、小津監督が大変な荷風ファンだったからだという。昭和27年に中央公論社版の『永井荷風全集』が刊行されて、はじめて『断腸亭日乗』が全部読めるようになったことが、関係あるのだそうだ。というのは、小津監督の日記が公刊されて川本さんが読んだところ、毎日、小津監督が『断腸亭日乗』を読んでいるのだそうだ。そして、その『断腸亭日乗』には、荷風自身が描いた荒川放水路の土手のスケッチも収められていて、それと同じ場所が使われているのだそうだ。

坪内さんらしい発言もあった。
たとえば、今年は荷風が洋行して100年目にあたるということ。荷風も川本さんも44歳で荒川放水路にハマったという指摘。最近、アルスという出版社から昭和27〜8年頃に出版された「銀座」というグラビア中心の雑誌を見ていたら、「どう見てもこれは荷風だ」としか思えない人物が、銀座で洋書を見ている写真があるのだが、キャプションには荷風と書かれていないのを発見した。山形ホテル(俳優の故・山形勳氏の父上が経営していた、麻布のホテル。荷風はここを応接間や食堂の代わりにしばしば利用していたのだそう)の絵葉書というのが、古書店の目録に載っていて「これは!」と入札したところ、山形県の山形ホテルのものだった。
などなど。

川本さんが、一旦言いかけてやめて、結局話してくださったのが、六本木の再開発に伴って「偏奇館」跡が地形も含めて跡形もなくなってしまったことへの憤りだった。港区が建てた「偏奇館跡」という石碑すらなくなってしまっていて、とても驚いたのだそうだ。かと思えば、山形ホテルの跡に建っていたマンションが、建替えのために更地になっているが、そこに済んでいる人の中に荷風ファンがいらして、「ここに山形ホテルありき」という碑を建てたいとおっしゃっているという、ちょっといい話も披露してくださった。

トークショーの最後にお二人が揃っておっしゃったのが、「荷風は、作品を読むと実際の現場に行きたくなる作家だ:ということ。
お二人のお話を伺っていたら、本を読まずとも十分、街を歩きたくなった。
そういえば、お二人とも現代の”散歩の達人”だったということを、思い出した。