落語的な映画とは

朝のうち曇り、昼頃からは雨。
実家へ帰る。その時は大した降りではなかったが、夜に入ってかなり激しい雨。

小林信彦さんの『コラムにご用心』(ちくま文庫)を、行きの電車で読み終える。
1989年から1992年にかけて、中日新聞に連載したコラムをまとめたもの。
邦画では黒澤明監督の「夢」や「八月のラプソディ」、中原俊監督の「櫻の園」、周防正之監督の「しこふんじゃった」、竹中直人監督の「無能の人」、坂本順治監督の「どついたるねん」、さらには島田紳介監督の「風よ、鈴鹿へ」もこの時期に封切られた作品だったことを、思い出させてもらった。

あまり映画を熱心に見ていた時代ではないので、わたしにとっては、後から評判を聞いてビデオで見た作品が多い。見ていないのは、竹中さんの「無能の人」と紳介さんの「風よ、鈴鹿へ」だが、これらの作品について小林さんが書いたものを読むと、ビデオを借りてきてみなければ、という気分になる。

おまけ?として、巻末に「キネマ旬報」誌上の対談2つが収録されているが、特に中野翠さんとのものを、興味深く読んだ。中野さんの「小説でも映画でも、私の好きなものって、結局落語的なものなんですね」という発言に注目した。中野さんは、ビリー・ワイルダーの作品が大好きだというが、「ワイルダーの映画も落語も、人間の描き方とか、笑いの入れ方がすごく似てるんですね。(中略)『人間なんてろくでもねえ』というのが基本認識になっている。人間のろくでもないところを嘆くのではなく、笑う。そこが好き。大人だと思う」という言葉に、わたしが最近感じている、落語の魅力の本質を教えていただいたような気がする。小林さんも中野さんの「ワイルダーの映画は落語的」という見方を支持している。そのたとえとして談志師匠も「ビリー・ワイルダーがあれば、あとはいらない」という位のワイルダー・ファンだというエピソードを挙げている。
この辺りのことを知ると、ビリー・ワイルダーの作品も見てみたくなる。何しろ、「アパートの鍵貸します」と「麗しのサブリナ」しか見ていないので・・・。

しかし、中野さんも小林さんも、志ん朝師匠が亡くなったことによって、落語から離れてしまったのかもしれないが・・・。