『恋する文楽』を読んで文楽が見たくなった(2)

夕食の後片付けを済ませて、昨日から読んでいる広谷鏡子さんの<b><a href=http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4480038035/qid=1051779894/sr=1-1/ref=sr_1_0_1/250-6280686-2859416>『恋する文楽』</a></b>(ちくま文庫)の続き。
文楽は、歌舞伎を見ていた頃に、何回か国立小劇場で見た程度で、まったくの初心者なので、かえって面白く読める。
それぞれの演目の粗筋から、彼女が見て聴いて感じたことが、結構ストレートな言葉で表現されている。
文楽や歌舞伎を敬遠している人達には、こういう口調で解き明かしてもらえば「それなら、一回見てみようか?」という気分になれるかもしれない。
彼女の主張すべてにもろ手を挙げて賛成というわけではないが、「なんでも原典に準拠しているのがいいのか?」とか、「若手に大きな役を演じる場を」といった提言は、歌舞伎にも共通していることではないだろうか。
ところで、この本の「文楽追っかけ日記」の章で紹介されている、秋田の「康楽館歌舞伎」という興行に行ってみたくなった。
木造の芝居小屋としては日本最古の建物といのこと。古い芝居小屋で、江戸時代の観客と同じような舞台との一体感を味わってみたいと思った。

歌舞伎で見る院本物は、ちょっと退屈してしまうこともあるのだが、この本を読んでいると「文楽ならそんなことないかも」と思えてくる。
確かに、義太夫節は、文楽で聴く方が面白いような気がする。
かつて、越路大夫さんや住大夫さんの浄瑠璃を伺ったことがあるけれど、正直言って、歌舞伎の竹本の太夫さんとはちょっと違う気がした。

この本を読み始めて、文楽を見に行きたくなって、ネットで5月の国立小劇場のチケット状況をチェックしてみたのだが、どうやら買えそうもない模様。
そういう意味では、広谷さんの思惑にしっかりハマったかもしれない。