久保田万太郎のしみじみとした味わい(2)

「春泥」の印象的なセリフや描写はたくさんあるが、その中でも特に、物語の最後に出てくる
<b>……その坂は尽きた。が、それよりも、もっと広い埃っぽい傾斜がすぐまた三人のまえに展けた。―それを上りつめたとき、三人は、省線電車の間断なく馳せちがう音響(ひびき)を脚下に、田端へつゞく道灌山の、草の枯れた崖のうえに立った。―み渡す限りの、三河島から尾久へかけての渺茫とうちつゞいた屋根々々の海。―その中に帆柱のように林立する煙突の「新しい東京」の進展を物語るいさましい光景(けしき)……
「変わったなァ。」と歎息するように三浦はいった。「知るめえ、お前(めえ)なんぞ。―ついこないだまで、こゝいらずっと荒川のふちまで一めんのもう田圃だったんだ。」
「一めんのねえ。」遠く田代も眸を放った。
「三月から四月にかけての菜の花のさかりのころなんぞったらなかったもんだ。」
「菜の花ねえ。」
その光景の上にひろがった大空。―水のように晴れたその大空に影を曳いた夕焼雲。……小倉はそれをみて無言だった。―淋しさやうかびて遠き春の雲、そうした句をしずかにかれはおもい案じていた。</b>

この場面が舞台の幕切れのように、目の前に浮かんでくる。

「三の酉」はというと、これは万太郎自身の体験が反映された作品なのではないかと、解説を読みながら思った。特定のモデルはいないまでも、万太郎にとての“忘れえぬ女”であった吉原芸者いく代に対する思い入れが、作品に影を落としているのではないだろうか。
そして、芝居に精通していた万太郎らしいセリフを、おさわに言わせている。