久保田万太郎のしみじみとした味わい(3)

<b>―だって、あなた、その波のいろ。……青いなんてものじゃァないの。……紺なの。……びッくりするような、何んともいえない、凄い紺色なの……
―じゃァ、もう、そのとき、日が落ちていたんだろう。
―でも、まだ、空はあかるかったわ。……それだけに、よけい……一層、それが際立ってみえたのかも知れないのね。……途端に、あたし、おもいだしたの。
―何を?
―熊谷の芝居の、“組打”んとこのあの海の道具を……
―違うよ、矢っ張、二長町仕込は、いうことが……
(中略)
……おさわの、たまたまいたその“組打”の海の一ト言は、ぼくに、ゆくりなく、ありし日の、自動車のまだめずらしかったころの東京の人情をおもいださせたのである。</b>

これまた、読んでいるとその時の鎌倉の海の色と、“組打”の舞台がありありと浮かんでくる。そして、“ぼく”もまた、おさわのその一言によって、かつての東京の人情を思い浮かべる。
しみじみとした、味わいがある文章だ。

そして、不運から四十過ぎになってもまだ、芸者を続ける、おさわの身の上がそこはかとなく感じられるのが、こんな一節。

<b>……それァ、あなたのまえだけど、金田にいたあいだの辛かった、つらかったこと、トリの味なんか、まるッきりわからなかったわ。……昨夜(ゆうべ)のおでんはうまかったナ……と思ったら、もういけません。……しみじみ、かなしくなったわ、あたし、心の住処のないことが……</b>

かつての朋輩で、今は絵描きの妻におさまった友達の家に呼ばれて、遊びに行ったことで、身にしみてしまった哀しみ。それが「心の住処のないことが……」という一言に表れている。

<b>俳句は「小説家であり、戯曲家であり、新劇運動従事者でありするわたくしの『心境小説』の素に外ならない」と、万太郎は句集『ゆきげがは』後記(昭和11年)で書いているが、実生活と作品世界が異なる二面性を持った万太郎の文学に、いわゆる<私小説>はほとんどなかった。</b>
と、槌田さんは指摘している。
それでも、槌田さんの解説を読んでいると、「三の酉」は、そうした万太郎のある意味での<私小説>なのではないかと、思える。