六代目の映画「鏡獅子」をめぐって(1)

NHK教育テレビの「芸能花舞台」で、六代目尾上菊五郎の特集を見た。
メインは、小津安二郎監督が撮った「鏡獅子」。完成した時に六代目が「このフィルムは、燃やしてくれ」と言ったため、六代目が亡くなるまで、公に上映されることはなかったという曰く付きのフィルムだ。
それ以外にも、九代目團十郎の「紅葉狩」でつとめた山神の映像や、本邦初放送という記録映画からの「鏡獅子」後シテ、市村吉五郎が撮った8ミリの映像などが紹介されていた。

今日、この放送があることをすっかり忘れていたのだが、偶然にも先日、”六代目の写真といえば、この人”と言っても過言ではない、木村伊兵衛の<b>『僕とライカ』</b>(朝日新聞社)を購入した。決め手は、六代目の舞台写真を撮影した際の思い出話と、徳川夢声との対談が収録されていたこと。偶然にしても出来過ぎ、と思わず自画自賛してしまった。

この木村伊兵衛が書き残した六代目の思い出の中で(「撮影について―六代目尾上菊五郎」)、小津監督が撮った「鏡獅子」についても触れられている。
当時、写真技術の進歩によって、濫写の問題が起きていたため、六代目は舞台写真の撮影に神経質になっていたという前置きに続いて、
<b>小津安二郎監督の担当になるこの映画は、歌舞伎を本質的に取り扱った最初のもので、六代目の芸術を記録するものとしても優れていたし、海外へ紹介するものとしても、立派なものであったが、いつも観客に見せる舞台を、逆に自分が見る立場になった六代目にして見れば、演技者として、この写真の出来不出来とは別に、映画と自分の演技とに関して、種々複雑な問題が生じた。この疑問が解決されない限り、六代目は撮影に対し慎重とならざるを得なかった。この気持が六代目を一層神経質にしたのだと思われる。</b>P.141-142
と述べている。これだけでは、もう一つ事情が飲み込めない。そこで、戸板康二先生の<b>『六代目菊五郎』</b>(講談社文庫)で、このあたりのことを確認してみようと、その記述を探してみた。
ちょっと長いが、このあたりの事情が詳しくわかるので、そのまま引用する。