あんつるさんがもっと読みたい(1)

安藤鶴夫『歳月』(講談社文芸文庫)を読み終えた。
安藤さんの著書は、学生時代に『雪まろげ』を旺文社文庫で読んだような記憶がある。ただ、内容まではそんなにハッキリと覚えているわけではない。
なぜだか知らないけれど、安藤さんはわたしにとって「ダメなものはダメと、ストレートにものをおっしゃる方」というイメージがある。
もちろん、直接お目にかかったことはないし、親しく接したことがあるという知人がいるわけでもないので、何かで読んだか聞いたかしたことで、そういう”あんつるさん”像が結ばれてしまったわけだ。

安藤さんの文章は、江戸っ子らしく歯切れがいい。言葉遣いも昔の江戸前の言葉というのは、こういう感じだったのかな?という単語がいろいろ飛び出す。
そんな中で、安藤さんがお付き合いのあった芸人さんについて書かれた文章が集められた2つ目のパートは、安藤さんの温かさを感じた。
「燕雄昇天」「五代目・古今亭志ん生」「八代目・桂文楽」「三木助とメロン」がそれにあたる。
燕雄さんという方を、わたしはまったく存じ上げないが、あとの志ん生文楽三木助といえば、未だに名人として必ず名前が挙がる人々。
そんな人たちの、素顔が垣間見られる安藤さんの文章には、彼らとの信頼関係がうかがえる。

お酒が大好きで、それがもとで倒れた病気療養中の身なのに、なんとかして飲みたい一心の志ん生に、安藤さんは
<b>「志ん朝だの、馬生だのッて、こどもたちが楽しみじゃアねえか、……楽しみだね?」
といったら、こんどは、大きくこッくりした。
「じゃア、じゃアいいじゃアねえか、のまなくったって、生きてこうじゃアねえか、ええ? 志ん生さん」
そうしたら、
「こういうふうにいわれるてえと、よく、わかる」
と、いった。

気になったので、盆の十六日に電話を掛けたら、お神さんが出てきて、十五日にはのまないですましたそうだ。</b>

ご自分も、お酒が大好きだったのに、病気を機にきっぱりとお酒を断った安藤さんには、志ん生の当時の気持ちは手に取るようにわかったに違いない。
安藤さんの、他人を思いやる気もちに触れるエピソードだ。