狐や狸が出て来るから(1)

昨日、いつもの本屋で買った、大友浩さんの『花は志ん朝』(ぴあ)を、あれよあれよという間に読了。
読んでいる間中、ついに、生の高座をうかがうことなく、志ん朝師匠の旅立ちの時が来てしまったことを、またまた深く悔いた。それほど、大友さんが描き出す志ん朝師匠は、魅力的だし、大友さんの志ん朝師匠への愛情があふれている。そして、大友さんがわたしたち読者に提示したキーワードは、フラジャイルだ。

意外に思ったのは、志ん朝師匠が、実は孤高の人だったという点。華やかな外見とは裏腹に、早くに父・志ん生師匠を亡くし、落語界のサラブレッド、プリンスという他人の視線にさらされ続けた志ん朝師匠の、人知れないところでの努力と研鑽、高座へ上がる直前の緊張。そんな、これまで伺い知ることのできなかった面を、早すぎた死と結び付けて読んだのだが・・・。
ご自分のお弟子さんにはあまり稽古をつけなかったのに、よそのお弟子さんには、わざわざ人に教えを乞うてまで稽古をつけてあげたとか、評論家やご贔屓の方とのおつきあいをあまり好まれなかったというのも、意外といえば意外なエピソードだ。
稽古をつけてもらえる、よそのお弟子さんを羨ましく思いながらも、志ん朝師匠の弟子であることに、人一倍の誇りを持っているという、お弟子さんたちの談話は、いかに志ん朝師匠が魅力的な噺家であり、人間であったかということを、証明している。