狐や狸が出て来るから(2)

大友さんは、落語協会分裂騒動の折りに、初めて味わった挫折が、その後の志ん朝師匠の芸に大きく影響しているという。「ペナルティーを課して欲しかったのに、それがなかったことが、かえってとても寂しかった」という、雑誌のインタビュー記事からの引用は、印象的だ。
そして、この騒動があった1978年という年は、春に住吉踊りの稽古を始め、夏にはそれまで決して首を縦に振らなかった、CDの発売を了承し、噺に人間が表出するようになった。そして、この年、志ん朝師匠は40歳の誕生日を迎えていた。
それまで築いて来たものが、分裂騒動とその結末から受けた瑕によって、志ん朝師匠は生まれ変わらざるを得なくなったと、大友さんは指摘している。

大友さんは、「東京かわら版」の編集人をつとめた方で、いわば業界内の人であったのに、それでも、志ん朝師匠は“雲の上の人”だったと記されている。それだけ、古今亭志ん朝という噺家には、アウラがあったのだろう。
そして、古今亭志ん朝という噺家を一言で表すとするなら、”フラジャイル”だという。本名の強次とは対照的な、弱さ、もろさが、志ん朝という噺家の成功を支えていたのではないかと。

ところで、ここで紹介されたエピソードは、どれもこれも好きなのだが、特に好きなものを。
志らくさんが、落語のマクラで語ったのを聞いたというもので、志らくさんに問い合わせはしていないと断った上で、紹介されている。
<b>落語の魅力は?と問われて、談志師匠が「人間の業を肯定しているところ」と答えたのに対して、志ん朝師匠は「狐や狸が出て来るから」と答えた</b>(P.109)
というもの。
なんと、素敵なエピソードだろう。

ところで、フラジャイル=フラジール。あれれ・・・?