ありがとう、志ん朝師匠(1)

志ん朝師匠が亡くなったのは、ついこの間のような、随分前のことのような、不思議な感覚だ。
3年前のあの日、昼食をそろそろ食べに行こうか、と思いながら、何気なく見たMSNのニュース速報で、志ん朝師匠の訃報を知ったのだった。
ちょうどその直前までだったと思うが、NHK宮部みゆきさん原作の時代劇「茂七の事件簿」が放送されていて、そのナレーションを志ん朝師匠が担当されており、久しぶりに聞いた志ん朝師匠の声に、すっかりメロメロになってしまって「ああ、志ん朝師匠の落語を聞きに、今度こそ寄席に行こう」などと、今にして思えば呑気なことを考えていた。
そんなことを思っていた頃は、すでに志ん朝師匠は入院されていたことを、先日読んだ、大友浩さんの『花は志ん朝』(ぴあ)を読んで知った。

MSNのニュースの見出しを読んで、思わず声を上げたわたしに、当時の上司が「どうした?」と驚いて声をかけてきたので「志ん朝師匠が亡くなったそうです」と伝えたら、その人も随分驚いていた。
志ん朝師匠の生の高座を聞きたいと思いつつ、まだまだその気になればいつでも聞けると思い込んでいたことを、深く後悔した。その時の苦い思いは、今でも折に触れて顔を出す。
むしろ、落語を聞きに行くようになってから、その苦さが増したような気がする。
一度でも生の志ん朝師匠の高座に触れていれば・・・。
CDを聞いていても、ついそんな繰り言が浮かんで来る。

思い立って、志ん朝師匠の「芝濱」を聞いた。
初めて生で聞いて、その面白さに引き込まれたのが小朝さんの「芝濱」で、そのことがきっかけで、落語を聞いてみようと思った噺だ。
「芝濱」といえば、談志師匠の十八番と言われている。だからこそ談志師匠の「芝濱」は、生で聞くまでとっておこうと思って、CDもDVDも買わないままになっている。