『むかし噺うきよ噺』に膝を打つ(2)

小沢昭一さんは、子供の頃から落語や大道芸、物売りといった人々に親しみ、関心をもっていたそうだ。『むかし噺うきよ噺』では、そうした子供の頃の思い出が存分に語られている。鋳掛屋、定斎屋、ヤマガラの芸といった今はほとんど見ることもなくなった商売のこと、イタズラをして立たされたこと、原っぱの友だちだった小動物のこと。そんな古き良き日々への愛着がしみじみと描かれている。

また、普通なら何気なく見過ごしてしまうような事柄への、あくなき探究心がもたらす、さまざまな発見のエピソードも語られる。
タクシーの運転手さんとの出会いが、説教浄瑠璃という絶えてなくなったと思われた芸能の復活のきっかけとなった「タクシーの恩恵」。
学生時代にちょうど、若太夫さんが忽然と登場して、「へぇ、説教浄瑠璃って文献の中だけの芸だと思っていたけれど、まだ伝承している人がいるんだなぁ」と驚いたことを覚えている。
このときのいきさつを、小沢さんは
<b>あれから十何年、今や若太夫さんは東京都の無形文化財にも指定され、後継者も出来て、説教浄瑠璃の伝承はひと安心です。私は何のお手伝いも出来なかったのですが、再起のスタート点に立ち会って激励できたことを嬉しい想い出としており、キッカケを作ってくれたタクシーさんの恩恵にも感謝しております。</b>P.98
と書いておられる。
だが、小沢さんが何の知識も持ち合わせていなかったら、たまたま乗り合わせて「若松若太夫を知ってます?」と聞かれたところで「さぁね」で終わりだったかもしれない。そして、永井啓夫さんを知らなければ、その唄のうまいおじいさんが若松若太夫だったかどうか、確かめることもできなかっただろう。
そう考えれば、小沢さんの功績はとても大きいではないか。でも、それを声高に言わないところが、東京っ子である小沢さんらしさなのだろう。

各章のタイトルは、変哲という俳名を持つ小沢昭一さんが作った俳句。俳句などまったくわからないわたしが言うのも、説得力がないのだけれど、脱力系とでもいうのか、なんだかいいのだ。
これも、小沢昭一さんのお人柄ということなのだろう。