読み直して気づいた『鬼平犯科帳』の魅力(1)

久しぶりで『鬼平犯科帳』が読みたくなって、積ん読の山から本を引っ張り出した。出て来たのは、21巻。
「泣き男」「瓶割り小僧」「麻布一本松」「討ち入り市兵衛」「春の淡雪」「男の隠れ家」の6作品が収録されている。
もう、この辺まで来ると、おまさは五郎蔵親分と一緒になっていて、兔の木村忠吾も妻子ある一人前の身になっている。与力・同心・密偵たちも新たなメンバーが加わっている。

10代後半から20代にかけて、『鬼平』や『梅安』『剣客商売』、そして池波作品にハマるきっかけになった『真田太平記』といった作品をむさぼるように読んだ頃は、ストーリーの面白さ、主人公のカッコ良さに引っ張られて、「この物語はどうなっていくのか?」「早く続きが読みたい」と、ちょっと焦った読み方をしていたのかもしれない。

鬼平犯科帳』のどこが好きなのかな?ということを思いながら改めて読んでみると、もちろん今でも、長谷川平蔵をはじめとする火付盗賊改方の面々、そして敵役である盗賊たちでざえもが、魅力的に描かれているところが、このシリーズの最大の魅力だと思う。
そして、「人間は、誰もが弱点を持っている」という池波作品に共通する視点が、長谷川平蔵に対してでさえ、貫かれている。彼とて決してスーパーヒーローとは言えない。悲しい過去、若き日の過ちといったものを背負った上で、現在があるのだ、ということに気づいた。
さらに、ちょっとした季節感や時刻、その場所の雰囲気を表す一行が、なんともいい味を醸し出しているところが、心に残る。