思い出が蘇り、懐かしい匂いのする小説(2)

ぷっつりと姿を消してしまった正吉さんの話題が出たときに、「かおり」の女将さんが洩らした
<b>どなたも毎日いらっしゃるわけじゃないし、たまに寄っていただけるだけでうちはじゅうぶんなんですよ、自由に見えてやっぱりひとつところをぐるぐるまわってる回遊魚みたいなひとにも親しみがわくんだけれど</b>
という言葉、正吉さんが主人公と一緒のときによくつぶやいていた
<b>いつもと変わらないでいるってのはな、そう大儀なことじゃあないんだ、変わらないでいたことが結果としてえらく前向きだったと後からわかってくるような暮らしを送るのが難しいんでな</b>
という言葉、そして、大家さんの工場で働く職人の林さんの仕事を評した言葉を受けた主人公は
<b>粗挽きと丁寧さ。相容れない言葉を着実に融和させていくのが、腕に覚えのある職人の倫理である。</b>
と思い至り、そして
<b>なるほど「のりしろ」か。私に最も欠落しているのは、おそらく心の「のりしろ」だろう。他者のために、仲間のために、そして自分自身のために余白を取っておく気づかいと辛抱強さが私にはない。</b>
と、今の自分にないものに気づかされている。

これらの言葉は、とても心に響いてきた。そして、留めておきたいと思う言葉であった。わたしにとっては、とても懐かしい匂いのする小説であった。