元祖・水の都は京都だった(2)

御所と下賀茂神社の水にまつわることを司ってきたのが「鴨氏」なのだそうだ。そして、その末裔である鴨脚(いちょう)家は、今でも下賀茂神社のそばに屋敷を構え、その庭には京都御所と同じ水位を示すと言われる池がある。
この池は、水位が一番低いときは丸、中ぐらいの時は真四角、満水に近くなるといわゆる池の形にと、その姿を変化させることで、一目見るだけで御所の水位がわかるようにできているのだと言う。
ちなみに、鴨脚と書いてなぜいちょうと読むかというと、鴨の脚の形がイチョウの葉に似ているからだそうだ。なるほど、と納得した。
番組の中で、この池がいつ頃からここにあるのか、ということには触れられていなかったが、少なくとも江戸時代に鴨脚家の祖先が、天皇家から拝領したさまざまな品物が今日まで伝わっているので、江戸時代にはあったのだろう。
昔の人の、合理的な知恵のすばらしさには、感嘆すると同時に、それだけ「水」というものが京の人々にとって、大事なものであったことが伺われる。

日本で「水の都」というと大阪や江戸を思ってしまうが、元祖・水の都は、実は京都だったということを、はじめて知った。
また、こうした都造りに風水が利用されていたということは、以前からいわれていることだが、その利に叶った都市計画のすばらしさを、改めて地下水という観点からも教えられたような気がする。(この点については、番組中では触れられていなかったので、わたしの個人的な感想である)