歌舞伎の面白さを知るための”楽しい”勉強

実家に置いたままになっている歌舞伎関係の本を、このところ帰るたびに、少しずつ発掘している。
今回は、戸板康二先生の本ばかり、4冊。これらの本は、かつて歌舞伎に通っていた頃、購入して読んでいるはずなのだが、案外、細かい内容を憶えていないようだ。

とりあえず、手もとにあった中では一番刊行順が早い<b>『わが歌舞伎』</b>(昭和23年・和敬書店)を読み始めたのだが、その冒頭で戸板先生は
<b>さて、芝居の面白さを知るために、我々は努めて、日本の古典に對するする愛情をはたらかせつつ歌舞伎の本質を理會しなければならない。まづ、歌舞伎の美しさはどういふ點にあるか? 歌舞伎の面白さはどこにあるか? どういふ所が歌舞伎の特徴か? ーーさういふ問題を考へて行く必要がある。
事實歌舞伎は難かしい。が、能のあの極度に壓縮された象徴的表現と較べれば、之はずつと現實的で、一見わかり易い。が、却つてそのわかり易い外見のために、人々は深く考へるといふことをせずに、何げなく歌舞伎を見すごしてゐるのであるともいへる。くりかへしていへば、歌舞伎はそのなまじつかな大衆性のお蔭で、一番大切にしなければならぬ大衆の心を見うしなはうとしてゐるのである。</b>
と、昭和23年刊行のこの本で、述べている。そして、
<b>私は歌舞伎の演技・演出に對する目の据ゑどころ、即ち鑑賞の重點を、出来る丈わかり易く書いてゆきたいと思ふ。</b>
と、この本の方針を明らかにしている。

昭和23年ですでに歌舞伎がそういう状況に置かれていたということを知るだけでも、十分貴重だ。そして、(明治・)大正・昭和の名優を実際に見て知っている戸板先生が論ずる、歌舞伎の演技・演出の重点は、それだけで一つの歌舞伎の規範となるのだということを、改めて肝に銘じて読んで行こうと思う。
歌舞伎の面白さを享受するための知識を得ることは、勉強である反面、楽しみでもある。