幕末の世話狂言作者として有名な河竹黙阿彌のかいた「幡随院長兵衛」の芝居を、弟子の新七が補訂したものに村山座の場という場面があって、劇中劇として「金平法問諍(きんぴらほうもんのあらそひ)」といふのを見せる。これが不十分ながら、人形の金平を人間で行くといふ「荒事」の見本ともいへる。
        戸板康二『わが歌舞伎』P.14