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申年は

実家の本棚で発掘した高田文夫さんの『楽屋の王様』によると、申年はお笑いが盛り上がる年なのだとか。お笑い番組がいろいろ目につくのは、わたしの興味が向いているからかと思っていたが、あながちそうとばかりも言えない? そうであって欲しいなぁ、いい意…

左團次さん

ふじたさんのページ*1が更新されていたので、さっそくお邪魔する。「シブい本」のコーナーで、戸板康二『劇場歳時記』が取り上げられていて、そこに、なんと!左團次さんのエピソードが紹介されている。 子役の頃、「寺子屋」の菅秀才を演じていた左團次さん…

久保田万太郎

私は俳人では久保田万太郎が好きで、彼の小説も戯曲も読むけれど、やっぱり俳句に一番ひかれている口である。というのも、万太郎の句、 短夜のあけゆく水の匂かなの水の匂いのする大川沿いの町に、同じく袋物商の娘に生まれた私である。やるなら和歌ではなく…

久保田万太郎

湯豆腐やいのちのはてのうすあかりは、天下の認める久保田万太郎の名句だが、火鉢の灰を眺めつつ苦吟しての制作と思いきや、『銀座百点』という雑誌の忘年句会の席上で生まれたという。近藤富枝『美しい日本の暮らし』(平凡社)P.176

二代目左團次

「左団次と佐多女」という文が収められている。佐多女とは、祇園の松本佐多のこと。谷崎潤一郎に「女傑であり、すぐれた政治家にも教育かにも事業化にもなる人だった」と言わしめた女性。近藤富枝『美しい日本の暮らし』(平凡社)P.139-141

若葉のころというのはまさに恋の季節である。葵を胸につけてひとびとが行列をする葵祭が五月十五日に行われるが、葵とはあう日のかけ言葉なのだ。葵祭の男女たちが若葉のかげで恋を語らう人言える。近藤富枝『美しい日本の暮らし』(平凡社)P.109

幕の内弁当

当時を振り返って、今でも忘れられない味が一つある。劇場で食べる幕の内弁当なのだ。鰆の照焼にしても、玉子焼きにしても、つくねやちくわぶから野菜の末までもひたすらおいしい。分量も豊かで食べきれないうちにヂリヂリと開幕ベルが鳴り、何度口惜しい思…

ざっかけない

二、三年前のことだが、ラジオの故郷探訪の番組に出たときである。生まれたのは隅田川のほとり、矢ノ倉町(現・東日本橋一丁目)というところで、幼児の思い出や土地の歴史を語っているうち、「帯をざっかけなくしめて……」としゃべったら、スタジオで司会を…

「銀ブラ」

池田弥三郎さんの『銀座十二章』を読んだオマケのような感じで、手近にあった松崎天民の『銀座』(中公文庫)の最初の方を読んでいたら、さっそく「銀ブラ」という言葉が出てくる。池田さんの「銀ブラ=社会部新聞記者説」のもとは、この辺にあるのかも。

前に浅草の観音堂の裏の広場に九代目團十郎の銅像があつたが、あれは「暫」に扮した舞台姿で、しかもあの形が、元禄見得なのである。 戸板康二『わが歌舞伎』P.18

幕末の世話狂言作者として有名な河竹黙阿彌のかいた「幡随院長兵衛」の芝居を、弟子の新七が補訂したものに村山座の場という場面があって、劇中劇として「金平法問諍(きんぴらほうもんのあらそひ)」といふのを見せる。これが不十分ながら、人形の金平を人…

「笹塚日記」

先月は、何の前触れもなく、「笹塚日記」が見開き2ページで終わっていたので、目黒さんが倒れたかと、心配したのだが、今月はいつもの通り見開き4ページに復帰。日記の内容も、いつもと変わりはないようなので、安心する。

鮎菓子をつつむ薄紙はなぐもり 草間時彦

山の鳥来てさわぎい*1る桜かな 山口青邨 *1:本当は旧かなわ行のい

鶯の渡る二の坂三の坂 水原春郎

都踊の紅提灯に灯が入りぬ 宇田零雨