ざっかけない

二、三年前のことだが、ラジオの故郷探訪の番組に出たときである。生まれたのは隅田川のほとり、矢ノ倉町(現・東日本橋一丁目)というところで、幼児の思い出や土地の歴史を語っているうち、「帯をざっかけなくしめて……」としゃべったら、スタジオで司会をしていた永六輔さんが、
「ワァ、ざっかけなく―。久しぶりにうかがった」
と大喜びをしてくださった。永さんは浅草の生れで同郷のようなものだからわかってくださったのである。しかし一般人には意味不明かと思う。何しろ『広辞苑』にも載っていないし、手許の『江戸ことば・東京ことば辞典』にも出ていない。これはいいかげんとか無造作にとかの言葉にいいかえていいだろう。
ざっかけない姿を恥じて「ウマイかっこうでごめんなさい」なんて来客に弁解したりするが、現代人には一層わからない言葉かも知れない。元結をモットイと発音し、芝居をシバヤという人がこの世に何人いるだろうか。それこそざっかけない言葉と思われていた東京の下町言葉だが、現代の若い女性のものと比べてずっと品がよいと思うのは私の身びいきだろうか……。

近藤富枝『美しい日本の暮らし』(平凡社)P.60-61